「全学に懸ける想い」 4年MG松田結梨
2ヶ月半前に購入した部活用の靴が壊れました。
審判を本当に頑張り始めた3年生頃から、どのメーカーの靴を選んでも半年ともたなくなりました。ただ足の形が悪いだけなのかな。
確かにここ2ヶ月半だけでも、学生リーグに、クラブFINAL、遠征、他地区の学生リーグ、練習試合(、あと66も)、と盛りだくさんでした。
ちょうど昨日も一昨日も。
自チームの試合は、本当は、苦手でした。
公式戦以外は、審判員として活動することがほとんどでした。
吹けば吹くほど、なんで私も皆と一緒に「やったー」とか「ナイス」とか言えないんだろうなあ、って思っていました。
その代わりに、怒鳴られたり、責められたり、良い思いをすることはあまり無くて、しわ寄せばかりだなあと感じることも少なくありませんでした。
そんなモヤモヤのチリツモが、まあ、ちょっとつらくて、自分が吹いた試合の後はチームに近づかなくなりました。
したら、どんどん自分のチームが自分のチームに思えなくなっていきました。あり得ない話ですが、本当にそうでした。
リーグでさえ、どんな顔をしてベンチにいたらいいかわからなくなりました。
本当しょーもない。
ちさとが分析、りるがトレーナー技術でチームの側で活躍しているのを、ふふーん私の同期は凄いんだぞ🤗、って誇らしく思う一方、いつもチームに一線を引いている自分の立場は誇れるものではありませんでした。
審判に自信がなかっただけだと思います。
というか、自信もないのに審判を武器にチームを強くすることが自分には出来るのか、という思いが拭えませんでした。
私の審判同期には、おくにきと航司がいます。
2人とは昇級のタイミングもはぼ同じというほど、同じペースで育成されました。それが本当に大変だった。
昇級要件である10試合を吹いても、私に実力は伴いませんでした。
でも2人は吹けていた。
20試合吹きました。
それでも追い付けませんでした。
何十試合吹いても、昇級しても、ゼブラ賞を獲っても、それでも2人は私よりずっと前に居ました。
それが悔しくて情けなくて、2,3年生の頃は試合が終わるたびに試合会場のトイレに引き込もって泣きました。特に前田とサカグラのトイレにはお世話になりました(ありがとう)
あの頃は本当につらかった。
あの頃は、とか言っていますが、本当は、最近まで自分が出る幕ないなあって思っていました。
4年生の初めに頑張るってブログに書いたくせに、いつまでも甘えていました。とってもダセェですね。
審判が好きで審判を武器に戦おうとしていた自分を、もっと早く認めてあげられれば良かったなと思います。へっ、ばーか🙃
今となっては、選手だからスタッフだからと線引きをせずに育てていただけたことには、感謝してもしきれません。
審判同期の二人にも、本当に感謝しています。ありがとう。
吹っ切れたのはわずか1ヶ月半前で、そこからのリスタートではあまりにも遅すぎました。
試合との接し方をだいぶ変えたけれど、自チームの試合たった3試合に、66を百何本吹いたくらいでは、チームに貢献したとも言えないな、と思います。
それまでに犠牲にした試合が何十試合、犠牲にした66が何百本とあるから。
ごめんね。
皆がどう思うかわからないし、今さらだとは思うけど、まだまだ悪あがきさせていただきますので、もうしばらくよろしくお願いします。
審判の「し」の字も書かないブログを書こうと思ったけど無理だった😘審判だいすきだよ
全学では(念願の)(待ち焦がれた)ベンチに入らせてもらいます。
去年からずーっと、もっとベンチに入りたい!入りたい!と思って過ごしてきた分、全学では思う存分ベンチで声を出して、両手を挙げて跳び跳ねて喜んで、楽しんで、試合後には選手のグローブかたっぽ借りて仙台の空にぶん投げたいと思います💥😊
最後になりましたが、日頃から現役を支えてくださるOBGの皆様、コーチの方々、トレーナーさん、全ての皆様に感謝いたします。
また、私の審判活動を支えてくださった審判部の方々、北海道や全国各地で巡り会えた審判員の皆様、試合で出会えた選手やスタッフさん、コーチの方々にも、この場をお借りして感謝申し上げます。
北海道の歴史を変えることで恩返しをさせていただきたく思いますので、何卒応援のほどよろしくお願い致します。
新しい靴、買いにいこ~っと
rally
MG 松田結梨